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「人間に存在意義はあるのか?」

「人間に存在意義はあるのか?」
  
ニックネーム:セクラテス
 
 
せっかく、「セクラテス」なんてニックネームを付けたので、今回は哲学の事を書いてみましょう。
 
以前の記事で「人間の存在意義」というものを書きましたが、それの続編のようなものを書こうと思います。
 
前編で引用させていただきました諸富祥彦教授は、著書の『人生に意味はあるか』の「哲学の答え」で次のように書かれています。
「そう『人類はいつか、消えてなくなる』———私が最初に、この視点を持ったとき、かなりのインパクトがありました。(中略)何もしなくてもいいけれど、何をしてもいい。そんな圧倒的な自由の感覚に襲われたのです。」(『人生に意味はあるか』87ページ)。
 
これが哲学的な虚無の根拠ということですが、さて、これは、必ずしも正しいでしょうか?
人類が消えてなくなれば、それで全てが終わりでしょうか?
 
私は、前編でも書きましたが、星々にしろ、宇宙の森羅万象にしろ、生成消滅を繰り返すという事が宇宙の事実のひとつです。
消滅すれば、それで全てが終わりではありません。
 
例えば、物理学の「エネルギー保存の法則」というのもあります。
トータルのエネルギー量は、いかなる状態でも常に一定であり、エネルギー総量が消滅する事はありません。
物体が消滅しても、エネルギー総量は常に一定であり、無に帰する訳ではありません。
 
当然、人間や生物も宇宙の一部であり、森羅万象のひとつです。
ですから、「人類がいつか、消えてなくなる」がゆえに、人類の全てが無に帰するという哲学は間違いになると思います。
 
宇宙の森羅万象は、形を変え、生成消滅を繰り返すという事が正しい事実となり、現にこの世界は、そのようになっています。
 
人間も宇宙・自然界・森羅万象の一部ですから、生成消滅を繰り返すという事が事実になります。
それは、宗教か何かか?と思われるかもしれませんが、哲学であり、そして科学・物理学と何ら矛盾する事ではなく、それらと合致します。
 
宇宙全体も、いずれは滅んでしまうという哲学に対しては、宇宙全体が滅ぶでしょうが、宇宙全体が生成消滅を繰り返すので、宇宙の消滅が全ての終結ではありません。
これは、ニーチェの云うところの「永劫回帰」とは違います。
 
私は、諸富教授が嫌いな訳ではなく、むしろ好きなほうで、氏の著書を読んだので、なぜ氏がこのような哲学の結論的な事を書いていらっしゃるのか不思議でして、おそらく何か理由(科学では答えられないとか)があるのかもしれません。
 
そのような訳でして、人間の存在意義は有るわけでして、決して無意味・無意義ではない、人間を含む事物の消滅が事物の終わりではない事を私なりの言葉で、なるべく簡単に書いてみました。
 
全てが生成消滅を繰り返すという事実のもとでの、人間に存在意義があるのか無いのか?という問いへの哲学的な答えは、存在意義があるとなります。
これは、何が人間の存在意義なのか?という疑問ではありません。
 
ちなみに、ニヒリズム(虚無主義)等は、明らかな間違いです。
 
また、この件で何かあれば、記事にしたいと思います。
皆様も、ご興味ありましたら、理性的に考えてみられてください。
 
では今回は、以上で終わります。
 
 
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