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「希望そして喜び」〜カムラックに入社して〜

希望そして喜び
 

私は、小学校の高学年くらいになると他の子と比べて身長がかなり低く、中学生になるころには他の人と圧倒的な身長・体格の差がありました。

もともと運動神経は、なかなかよかったものですから、身長なども含めて体作りをしようと思いバスケットのクラブに入りました。

それにより運動神経や持久力はかなり身に着いたのですが、身長と体格だけはさほどの変化はありませんでした。

中学二年生にもなるとまるで大人と子供です。その当時の身長は132センチぐらいでした。

そして大変残念な事が起こり始めました。

イジメです。

圧倒的な体格を持つ彼らは、私をイジメはじめました。抵抗すると容赦なく力でねじ伏せられ、私は暴力の恐怖を植え付けられました。今ほどの陰湿なイジメではありませんでしたが、私にはどうすることもできませんでした。

しかし高校に入る頃になると、急に足に痛みそして変な「ミッシッミッシッ」といった具合の軽いほのかに聞こえるぐらいですが、音がするように成りました。
そう 身長が伸び始めたのです。体格もある程度は良くなり、
その勢いで格闘技も少々たしなみ当分の不安は無くなりました。

高校を卒業してから私は、就職しました。この頃の私は世の中の情勢など全くわかりませんでした。職場は工場で、オートメーション等で生産する工場ではなくそのほとんどが手作りで生産する工場でした。技術が要求される仕事でした。この時の時代は、内需拡大を名目とした意図的に作られた景気すなわちバブルの時代でした。とめどなく仕事はあり、残業は毎日更に徹夜の作業も最低でも1スパン三日の割合でありました。私は余程この会社は、儲かっているんだろなと思っていましたが、会社側は全くあわない単価であらゆる仕事を受けており、その会社の経済内容は凄く厳しいものになっていました。その状況を打開するべく徹底的に単価を見直し、業績回復に乗り出しました。仕事は沢山ありましたので、更に過酷な労働強いられたのです。

そのような事をしているうちに私の体に異変が起こり始めました。

どうしようもない疲労感や動悸・吐き気等が起こり始め忙しい会社をやすみがちになりました。当然いろんな病院に行きましたが、どの病院の診断は、どこも悪くないとの事。会社の他の従業員は、私の事を怠け者とみなし、とうとう口も聞いてくれなくなりました。

そこである大学病院の外科部長があなたは精神科に行きなさいと言われ紹介してもらいました。精神科の診断は、鬱病と診断されました。それから向精神薬と睡眠導入剤を処方してもらいある程度先に申し上げた状態は、改善されたのです。

そうしているうちに時代は流れ、バブルが崩壊し、デフレーションがはじまりました。会社もその影響を受け休業を余儀なくされ、私は、退職することになりました。既に35歳を超えていた私は、正社員として雇用されるのは難しく、その後はアルバイトと親の年金で生活しておりました。もう親の年齢もかなりいってたので、何とか続けられる仕事をと頑張っていましたが、月日はどんどん過ぎ行き、アルバイトの会社もまだまだ続くデフレーションで倒産していきました。

そして私個人での収入は全く無くなり親の年金だけになりました。私の心は、腐りはて、鬱も酷くなり酒におぼれ、交通事故を起こし身体障がい者になり、廃人のようになりました。更に妹は交通事故で、父は癌で、母は膠原病で亡くなってしまいました。
私は生活保護を受け、最低限の生活しかできませ
んでした。どこに面接に行っても採用されず。もはや死ぬことしか考えていませんでした。しかし死ねませんでした。

ずっとどうやったら死ぬ事が出来るか考えておりました。私には絶望の文字しかなかったのです。


そんな私を拾ってくれたのがカムラックでした。

簡単なパソコン作業が主な仕事だと聞いてたものですから、私にも出来るなと思ってました。
しかし
カムラックはそれだけでは終わりませんでした。

障がい者の自立を目標とする会社なのですが、カムラックの社長は、まだまだ眠っていた障がい者の潜在能力を引き出してくれたのです。

スキルレベルではおそらく福岡の自立支援事業所の中ではトップクラスではないでしょうか。

カムラックのすばらしい所はスキルだけではありません。

そう、今まで引きこもっていた方や鬱に苦しまれている方に笑顔を取り戻してくれたのです。
働く喜びを与えてくれたのです。
私は今はまだ誇れるスキルはございませんが、毎日会社に行くのが楽しみです。

なぜなら、自分自身が少しずつ成長していると実感でき、愉快な素晴らし仲間が待っているからです。

常にメンバーのケアを考えて業務にあたられている社員の方々、それと共に、会社経営のために東奔西走されている社長に、そしてカムラックに恩返し出来るように自分自身をもっともっと磨いていかなければなりません。

私は今、生きる希望そして喜びでいっぱいです。

 

カムラックあんしんラボ呉服町事業所では、障がい者の方がパソコンを活用し、ホームページ制作、コンピュータグラフィック、デザイン、データ入力、名刺作成、アプリケーションやソフトウェアの開発・動作確認、施工図作成、ITを活用した手話サービス等、パソコン軽作業から各種プログラム開発まで幅広いお仕事をしています。

 
あわせてカムラックは障がい者の働く環境の常識を変え、障がい者の新しい未来創りにチャレンジしています。
 
 
 
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カムラックのホームページはコムログクラウドで作られています。
一般公開するまで無料で使えますので是非触ってみたください。

 

 

 

 


 

 


上記、移行支援バナーは、移行支援事業所の利用者が制作しました。

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